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日本酒発祥の地「河内長野」検証委員会

天野酒の歴史をご存知でしょうか?

伊丹や奈良が清酒発祥の地として論戦を繰り広げていますが

もっと古くからここ河内長野では寺院で酒造りが行われていました。

酒の品質が高く一般大衆の口に入ることはほとんどなく、

公家や貴族の身分の高い人々に珍重されていたのです。

そう、天野山金剛寺で造らていた僧房酒天野酒です。

天野酒は太閤秀吉が愛飲したことで知られていますが

彼の時代よりもはるかに古い時代に酒造りが行われいたのです。

その歴史が置き去りにされている間に伊丹や奈良が清酒発祥の地論争を

繰り広げ今では当たり前のように世間では認識されています。

このままではせっかくのすばらしい地元のお酒の歴史が

埋もれて伊丹や奈良が既成事実化してしまう。

ということで地元市史の専門家と有志で

『日本酒発祥の地河内長野検証委員会』を立ち上げました。

清酒発祥の地検証委員会

今日はその第一回会議。

それぞれが知る天野酒の歴史についてネタを持ち寄り検証いたしました。

とにかくこれはすごいことになりそうです。

近々、マスコミに取り上げていただき世に日本酒発祥の地

『河内長野』と言える日がやってくると思います。

今日わかった事実は以下です。

今までは西暦1432年に「天野」の文字が初見とされていたが

1280年(弘安三年)に「天野」の文字が散見されており、

これが天野酒の起源という説があった。

しかしどうやら高野山の天野という地名を指しているようでこれは天野酒ではない。

1234年に金剛寺住僧によって本寺仁和寺に提出された起請文の一節に

「清酒」「濁酒」の文字が散見される。当時金剛寺ではお酒を他所から

購入するなど考えられない状況から鑑みて、少なくとも1234年には

ここ河内長野の地で酒造りが行われていたと思われるのである。

この「清酒」という文字は延喜式以外で出てくる日本最古の文字らしい。

今のお酒のカテゴリーである清酒に合わせて濁酒も書かれており

この時代にしっかりと区別されていたのがすごい。

ちなみに奈良酒は1400年代半ば、伊丹に至っては1600年に

酒造りが始まったとされています。

次回さらなる歴史的事実を集め、専門家のアドバイスをいただきながら

検証を進めていく予定。

日本酒発祥の地とされる場所が金剛寺のどのあたりで行われていたのかも

まもなくわかると思います。

ご期待ください。

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